2015-10-04 ID-S10周年

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※アメブロからの移設
※当時の狂った情緒をそのまま転載しています
※時代錯誤,若気の至り,失礼な描写すべてそのまま
ご了承ください。

年に3回も記念日があると感謝や感動薄れちゃうんじゃないの?

とかね。
毎回喜びと興奮でしくしく泣きながらTLに張り付いています。

1月はいわば生誕祭、4月はすべてのシドのための日、10月はシドへの感謝と祝福の日。そういうことにしておいて。
とにかく10月4日はID-Sが発足した日。そして今日で10周年をむかえました。

なにかひとつの特別なものでもありいつもの私に溶け込んでいる存在がこうして掲げられる日はやはり大切に思えるのです。
シドという4人に。シドの音楽に。シドを支える全ての人たちに、シドを囲む私たちに。
声にならない歓声に、画面をなぞる指先に、纏う装いに、光に満ちるステージに、
わたし個人で言えば通勤電車の中やたのしい友人たちとのふれあいや夜行バスの中でのどきどきする一人の時間にさえ、
シドと関われる全てのものに人に時間に場所に思いを寄せられる大切な日です。

お祭りというには静かですが、たしかにここでわたしはまた次の「シドの日」へむかうことができるわけです。

大好きな彼の声のことや、大好きな彼らの私たちの見えないところへの不安や、すべてへの湿度のない感情はたぶんありえないとおもいます。
でもそれすら大切にしたいと思えることはやはりまずは彼らへの感謝から始まるわけで。

単純でも時に沈み込んでも憎くなっても最後は彼の言う「愛しています」に極まってしまう。

いつものことながら記念日の言葉って似たり寄ったり。
これでいいんじゃないかね。
日にちに区切りがあってないようなものと同じでどんなに書いてもたぶん文章の中の「シドの日」って要は私の毎日のことだろうから。

うん。改めて。
シドID-S発足10周年おめでとうございます。
これまでもこれからも愛しています。

マオ誕に向けてパソコンのバッテリ交換しなきゃ。

では。